11か月で辞めた新卒~チェンマイ・オーストラリアワーキングホリデーに行くと決めた編
社会人
大学の就活時代は、お客様の一生の思い出になる
仕事をしたいという思いに駆られて、
ウエディングプランナーになりたいと思い、
片っ端からウェディング業界を受けていった。
確か32社以上受けたがすべて不合格だった。
そこからブライダルジュエリーなども受けたが
合格ならず違う方向を考えざるおえなかった。
次に目を付けたのが、住宅業界。
一生のお買い物ものお手伝いができると思い、
新築販売の営業を志望した。
ちょうど、大学卒業間際に住宅販売に内定をもらった。
内定をもらった時はすごくうれしかったが、
なぜか違和感があった。
その違和感がなんだったのか、
内定した会社に初めて出社するときに
少し理解した。
この仕事多分俺のやりたいことじゃない。
と思ってしまった。
自然と涙が出てきて出社したくないと
拒否反応が出てきてしまった。
本当にやりたいことって何だったんだろうか?
インドに学校を建設をしたいと思った
わくわく感と何かが違う。
何だろう?その当時は分からなかった。
でも内定ももらったし、
1年は頑張ってみようと思った。
でも1年間頑張ろうと思った時も
違和感がずっと残っていた。
うーん。なんか違う。まったくわくわくしない。
でもせっかく入社したし
1年は頑張ろうと自分に言い聞かせた。
そこから入社して11か月
が過ぎたあたりから
会社に行くまでの道のりが
長く感じてしまい、
会社のドアを開けるときには
気持ち悪くなってしまった。
あ、もうだめだ。
でも1年続けると決めていたし、
石の上にも3年っていうし、
俺の友達も頑張っているし、
辞めるのは早いんじゃないか。
すごく葛藤した。
葛藤している最中、もう一度何をやりたいのか、
人生を振り返ってみた。
やっぱり楽しかった
インド学校建設プロジェクトその時にかかわってくれた
NPO法人フリーザチルドレンジャパンとの出会い。
フリーザチルドレンジャパンで活動していた時に僕は
入社したいと言っていたが、
英語ができないと厳しいと感じていた。
もしかしたら英語ができたら
フリーザチルドレンジャパンに
入社できるかもしれない。
英語を話せるようになったら、
もっと世界で苦しんでいる人々の
手助けになるかもしれない。と素直に思った。
この時のワクワク感は今でも忘れられない。
わたしはそこからの行動は早かった。
1年立たずに辞表を提出し仕事をやめた。
アルバイトをしながら空いた時間で
英語を勉強しようと思ったのと、
時給が高いアルバイトをすれば
貯金ができると思った。
そこから都内のホテルでアルバイトした。
でも貯金も全然貯まらないし、
そもそも留学いくにはいくら
必要なのか知らなかった。
調べてみるととんでもない
費用がかかることを知った。
無理だ。ちょっと待てよ。
でもワーキングホリデーって聞いたことあるぞ。
向こうで働きながらお金もらえれば
そんな費用いらないんじゃないかと思った。
そこからワーキングホリデーと検索し調べまくった。
そうしたら、仕事を紹介してくれて住むところも
用意してくれる会社が見つかった。
直感でここだ!と思った。
そしてそこのオフィスに行った。
費用や、詳しい仕事内容など聞き、
ワーキングホリデーに行くと決心した。
当時TOEICが990点中確か250点ぐらいで、
ハローぐらいしか言えなかった。
なので、仕事に就く前に語学学校に
行ったほうがいいと言われて
その会社と提携している
タイの語学学校(チェンマイ)にも行くことになった。
総額費用は100万円ほどだった。
母にその時に電話してワーキングホリデーに行きたいから
100万円貸してほしいとお願いした。
母はあんた何を言ってるのか?
そんなお金あるわけないだろうと
めちゃくちゃ怒られた記憶がある。
でも自分がワーキングホリデーにどうしても行きたいと
何回も電話して母がそこまで行きたいならと
100万円を貸してくれた。
母は偉大だ。
始めてのタイでの語学学校
タイのチェンマイの空港に降り立った。
今まで嗅いだことのない匂いに圧倒された。
でもワクワクしすぎて、あの興奮は今でも忘れられない。
空港では日本人コーディネーターが向かい入れてくれた。
コーディネーターの方は日本人の女性で、
僕がお世話になるゲストハウスの真ん前の
ゲストハウスを経営している人だった。
その方が、語学学校の契約や困ったことを
助けてくれる人だった。
僕のお世話になるゲストハウスはベット1つと
机1個だけの6畳ぐらいの部屋だった。
多分50部屋ぐらいあったが、
世界中の旅人が泊りに来ていて
ヨーロッパの人が多かった。
外に出ると10畳ほどのたまり場があり
そこで世界中の人とお酒を飲んだり、
パーティーをしたり、みんなで集まる場所だった。
英語が全くできなかった僕は、
毎日そのたまり場に行き、
夜中まで外国人と話し、
朝には語学学校に行くという生活を送っていた。
そこでであったのがフランス人のジョーダンだった。
日本がとても好きで、
日本語も少し話せる
30歳ぐらいのひげの長い青年だった。
なぜかすぐに仲良くなって毎日一緒に行動した。
ジョーダンは英語もペラペラで日本語も話せるので、
語学学校に行くよりもすごく勉強になった。
ジョーダンは少年みたいな人で、
世界を旅しながら写真を撮っている人だった。
自分の好きなことを追求する人で、
コーヒーアートをやってみたり、
興味があることには挑戦する人だった。
毎日毎日屋台に行ってご飯を食べる、
日本人が経営している洋服屋さんに遊びに行く、
本当に楽しい日々だった。
自分が興味を赴くままに旅をして、毎日毎日、
朝から昼まで語学学校に行き、
そのあとは家で教科書で勉強し、
夜はジョーダンと遊んだり、
たまり場に行ったり、
本当にわくわくした日々だった。
ジョーダン以外にも、
ギリシャ、日本、ミャンマー、
イタリア、オーストラリア、
デンマーク、アメリカ、カナダ
など世界各国の人と交流し
考えられないぐらい楽しい日々だった。
日本での常識というのが全く通じなくて、
驚くべきことが沢山あった。
色んな人と交流する中で、
色んな国の人の文化や考え方を学ぶ楽しさがあった。
世界ってこんなに楽しいところで、
色んな考え方の人がいて、テレビで見ていること、
言っていることまったく違う。
海外は怖いところ、危ないからやめておきなさい。
そんなことを当時はよく耳にしていたが、
そんなことはなく本当に素敵な人ばかりで
価値観が180度変わった気がした。
僕は日本で一体何に悩んでいたのか。
世間の目を気にして、日本という常識にとらわれて。
大学を卒業したら就活が当たり前で
あれだけしんどい思いをして、
仕事をやめたのに、
僕が出会った人は大学を卒業した後に旅に来ていたり、
国が違えば色んな考え方があって
みんな違う人生を生きているんだと実感した。
僕はこの社会人時代から
チェンマイの経験で学んだことが沢山ある。
それは自分の五感で感じたことを信じるということ。
親がこう言ってるから、
世間の常識がこうだからではなく、
自分がどう感じたのかを確かめる重要性を知った。
自分の違和感、わくわくする感情を大事にすること。
それが自分にとって必要か、
必要でないかの基準を教えてくれたかもしれない。
その違和感を捨てて、
自分のワクワクする方向に向かう経験こそが、
自己肯定感を高めるきっかけになったかもしれない。
もちろんわくわくしたことを挑戦して
失敗することはあるかもしれないが、
後悔することはなかった。
毎日英語を勉強できる喜び、外国人に少しづつ英語が伝わる喜び、今まで生きてきて感じたことのない充実感だった。
自分のワクワク、やりたことに従うことは大事だと確信した出来事だった。