地獄の気持ちを味わった小学校~母の愛を知った中学校編
私は神戸に生まれました。
プロフィールにも書きましたが、
私は日本と韓国のハーフです。私の母が韓国人で父が日本人です。
お父さんの仕事はよく分からないですが、
仕事の関係で韓国に出張に行ったときに、
たまたまお母さんと出会って
お父さんが一目ぼれをして猛アプローチして
結婚に至ったそうです。
お母さんは当時付き合っていた
彼氏がいたそうですが、
徴兵制度があったため彼氏とは
長距離恋愛をすることになったそうで、
その間にお父さんと出会い、
結婚して日本に来てしまいました。
母が20歳過ぎた時に女の子の第一子が生まれて
その9年後に僕が生まれたそうです。
おじいちゃんは男の子が欲しかったそうで、
すごく喜んでくれたと母から聞きました。
母が言うには僕は小さいころから夜泣きもせず、
すごく育てやすかったそうです。
小学生編
小学生頃は
月曜日:塾
火曜日:ピアノ
水曜日:絵
木曜日:習字
金曜日はプール
土日はサッカーなど忙しい日々を過ごしていました。
でも一つそんな忙しい中で
感じたことがありました。
それは、習い事ではなく、
学校終わった後、友達と遊びたい
という思いでした。
母は口癖で頑張りなさい、
あなたのためを思ってやっているのよ、
立派な大人になりなさい。
とずっと言われていたので
聞いてくれないだろうと思いながら、
習い事を続けていました。
サッカー以外は僕がやりたいことではなく、
母が僕の将来のためになることだと思い
色んな習い事をしました。
でも内心すごくつらかったです。
でも当時の僕は母につらい、
しんどいとはなぜか言えませんでした。
また家に帰ると母、
父は毎日喧嘩していたので、
居場所がありませんでした。
家に帰ってきても喧嘩ばかり、
月曜日から金曜日まで習い事、
友達と遊ぶことさえできない、
なんで?苦しいという幼少期でした。
自分で何かこれをやりたい、
こうしたいという思いではなく、
例え自分が嫌だったとしても
母が幸せだと感じてもらう返事をすること、
母が喜んでもらう道に沿うことが
当たり前だと思っていました。
また毎日喧嘩ばかりで自分の感情を素直に
共有出来る時間がなかったこと、
家族が相手を理解しようとする
姿勢がなかったこと、
これが自己肯定感が低くなる
原因を作ることになったのではと
今振り返ると思います。
また塾にも通っていたのですが、
今でも忘れられない出来事がありました。
30人ほどの教室で授業を受けていました。
当時から、勉強が苦手でびくびくしながら
授業を聞いていたのですが、
数学の先生が毎回誰かに
正解を当ててもらうという
地獄の授業がありました。
僕は先生に当てられないように
毎回顔を下にしていましたが、
その日は『この問題は簡単だから誰でもわかるだろう』と先生が言い、
それでは福井!と当てられました。
頭が真っ白になりあたふたしていて、
間違った答えを言ってしまいました。
そしたら周りからクスクスと
笑い声が聞こえてきました。
その後も何回か授業で当てられるのですが、
毎回間違った答えを言ってしまうので、
そのたびにクスクスと笑い声が
聞こえるので本当にしんどかったです。
そしてそんな日が続いたある日、
塾で席替えがありました。
その時に僕の横になった生徒が前の席の人に
『え?横の席福井?頭悪いのうつるんだけど』
という声を聴いてしまいました。
その時に頭が真っ白になり、
泣きそうになりました。
自分は勉強もできない
価値のない人間なんだ。
と自己否定した小学校生活でした。
これも自己肯定感が下がった
一つの理由だと振り返って思います。
中学生編
高校受験が迫っている中で、
中学校では3者面談がありました。
夏に3者面談があり受験まで6か月と迫った時でした。
でも、どうしても行きたい高校がありました。
先生にそれを伝えたところ、
絶対無理なので諦めてください。
と言われたました。この点数じゃ厳しいですと。
それを聞いた母は泣いてしまいました。
帰り道今でも覚えているのですが、
母が車に乗り込む前に
『あなたならできる。私は信じている。一緒に頑張ろう』
と言ってくれました。
その時僕が感じたのが母が初めて
僕の気持ちを理解してくれて、
一緒に頑張ろうと言ってくれた、
その言葉がすごくうれしくて
僕の中で何かが変化しました。
そこから毎日12時間の勉強が始まりました。
学校が終わりすぐに塾に行き、
毎日夜中の3時まで勉強しました。
また近所の塾に通っていたのですが、
そこの先生が毎日夜中まで勉強を教えてくれました。
塾の先生は佐伯先生と言い見た目は
ふっくらしていて身長が高く眼鏡をかけていて、
いつもニコニコしている先生でした。
福井君ならできる、大丈夫と
毎日毎日励ましてくれました。
おなかが減ったときはおにぎりを出してくれ、
わからないことがあればいやな顔をせず、
日々僕と向き合ってくれました。
また以前に通っていた塾にも入り、
そこの先生も真剣に僕に向き合ってくれました。
僕を一人の人間としてみてくれて、
励ましてくれました。
その結果、僕の志望校2つ合格しました。
当時僕が合格をもらった日、
先生に報告しに行ったのですが、
先生からお母さんに早く
ありがとうと言いに行きなさいと言われ
お母さんと一緒に喜んだのを覚えています。
今振り返ると小学校の時に僕は母の期待に沿う
行動や言動をしなければ嫌われると思っていました。
僕の事をもっと聞いてほしい理解してほしい
気持ちがとても強かったです。
でも中学生の時に
母が一緒に頑張ろうと言ってくれた言葉が
実は自分の気持ちを
理解してくれていたんだと思った時と
本当は愛してくれたんだと理解した時は
自分の中で大きな気持ちの変化がありました。
不器用ながらの母の愛を感じた時と塾の先生が
一生懸命僕に向き合ってくれたあの経験は、
小学校の塾の時に感じた
自分は価値のない人間ではない、
不器用ながらも一生懸命母は
僕を本当は愛してくれていたんだと、
気付かされた経験だったと
今振り返れば思います。
沢山挫折とか辛い経験はあるんだけど、
でも世の中には自分を大切にしてくれる
人は必ずいると知ったこと、
また母の愛を知り理解できた時に人は
自然と自分はこのままでいいんだ、
愛される存在なんだと理解できるように
なったことは大きかったです。