ついにワーキングホリデーへ。死ぬほどつらかった皿洗いから海が綺麗なハミルトン島へ
チェンマイ→オーストラリアゴールドコース→ハミルトン島へ
チェンマイからオーストラリアに移動した。
ついにここからワーキングホリデーが始まる。
オーストラリアのゴールドコースとで働きく。
ワクワクと不安を抱えながら、
ゴールドコーストについた。
そこからゴールドコースで
コーディネーターの方と
待ち合わせをして、銀行口座を作る、
携帯電話を買いに行った。
私は海の近くの現地のレストランの
皿洗いとして雇われる契約だった。
もちろんウェイター、シェフは全員外国人。
皿洗いは、日本人という感じだった。
住む部屋はプール付きの6人でのシェアハウス。
住む人は全員日本人。
契約上住む場所、ごはんは無料で、
少し給料をもらえる契約だったと思う。
最初は皿洗いでも、
給料もあんまりもらえなくても、
海外で働く経験ができる。
それだけでワクワクした。
皿洗いは本当にきつかった。
チェンマイで英語を勉強して、
少しは話せるようになったが、
本場の外国人の早い英語の対応がかなり難しかった。
またシェフが使うフライパンは特殊か、
持ち手をタオルで巻いて、
使っていてなんでか
最初分からんかったが、
そのフライパンを洗う時に
めっちゃくちゃ熱くてやけどしたり、
洗う皿の量が人生で経験したことのない量で、
本当にきつかった。
いつもどれだけ皿洗うねんと突っ込みを
入れながら必死に働いていた。
小中高とサッカーをしていた僕でさえ毎日筋肉痛であった。
朝9じぐらいから15時ぐらいまで働いて、
2時間休憩して17時から22時くらいまで働いた。
2時間休憩はほぼ爆睡していた記憶しかない。
夜は皿洗い、レストランの床の掃除や、
冷蔵庫の掃除などだった。
休みの日は図書館で
無料英会話みたいなのがあって
そこに参加したりオーストラリアを散歩したり、
そんな日々を送っていた。
でも皿洗いに中々慣れていないこともあってか、
僕の皿洗いが遅かったり、きれいに洗えないこともあって
怒られる日々も多かった。
そのストレスもあってか、皿洗いもきついし、
仕事が皿洗いだとそもそも
あんまり英語でコミュニケーションも
取れないしと思い、
仕事もプライベートも
すべて英語の環境に置きたいと思った。
ゴールドコーストからハミルトンアイランドホテルへ
そこでいろいろ探していると
現地のホテルなどの
仕事を紹介してくれる会社があることを知り、
そこと契約し仕事を紹介してもらった。
僕が紹介してもらったホテルは
ハミルトン島といい世界遺産グレートバリアリーフに
囲まれている海が超きれいな島のホテルです。
僕はそこで、プール掃除や、レストランの掃除、
外回りの掃除などを行うことになりました。
働いている人は現地の人ばかり。
僕が所属になった掃除担当部署は日本人5人ぐらい、
韓国人も数名、現地のオーストラリア人も
多く在籍していました。
やっと皿洗いから解放されると思ったのですが、
やはり現実は厳しかったです。
仕事内容が掃除とのこともあり、
余裕と思っていましたが、
外回りは朝4時から昼の12時まで
というシフトでした。
毎回ペアで行動するのですが、
日本人以外の人とペアになることも多く、
ペアに人の英語のレベルが高くて、
ついていけないこと多かったです。
掃除道具の英語の説明もよくわからず、
毎回何回も聞いてやっと理解できるレベルでした。
掃除も、回る箇所も多く、
意外に時間がなくて、英語も早くなるし、
仕事も覚えないといけないことも沢山あり、
大変と充実感が混じった日々でした。
またオーストラリアのホテルでは、
マルチハイヤーと言って、
違う部署も働けるという
制度がありました。
僕はその制度があることを
教えてもらっていたので、
ハミルトン島には数か所レストランがあるのですが、
そこに自分で交渉に行って、
自分は日本でこのキャリアがあるから
力になれると思うと説得して、
仕事をもらう感じでした。
僕は色んなレストランに行き、
交渉して仕事をもらっていました。
ドキドキしながらレストランの
オープン前に行き、
ドアをたたきここで働きたいんだけどと
1件1件回り、これだけできるというのを
英語で説明するという感じでした。
ボスもそこまで言うならとしぶしぶ
承諾するという感じでした。
朝4時から昼12時まで働いて、
夕方5時~24時まで働いていました。
この経験から学んだことは、
1日14時間ぐらい働いていたのですが、
しんどいとか、疲れたって感じではなく、
楽しくて毎日毎日働くのが楽しかったです。
ワクワクの可能性はものすごく
大きかったと感じています。
お店のボスと話すとき、
めっちゃ緊張するのですが、
やりたいことをつたない英語で伝えることで、
本気度がボスに伝わり仕事をもらう経験や、
もちろん仕事でうまくいかないこと、
怒られることもありましたが、
そうゆう人ばかりではなく、
英語ができない僕を一生懸命理解しようと
してくる人もいました。
落ち込んだ時は、励ましてくれたり、
レストランでお酒をお客さんにぶちまけた時は、
Dont mind! と励ましてくれたり、
残ったご飯をくれたり
沢山助けてくれる人もいました。
英語ができない僕でもこんなに
僕のことを大切に思ってくれる
人がいる安心感が大きかったです。
また世界中の人たちとお酒を飲みながら
人生を語れたこと、国が違っても、英語が伝わらなくても、
相手を理解しようとする姿勢は
僕の一生の宝物になりましたし、
僕のコーチングで大切にしていることです。