シドニーでのファーム生活~世界遺産に登録されている島での生活&地獄のハンバーガー作り
シドニーの田舎のファーム→レデイエリオットアイランドへ
ハミルトン島で過ごしてからもう少しで
オーストラリア生活を1年経過しようとしていた。
僕の気持ちはもっとオーストラリアにいたいという気持ちだった。
オーストラリアでは農業の仕事を何日間かすると、
もう一年延長できるシステムだった。
いろいろ調べてみると農業は過酷な仕事で、
働いてもセカンドビザをもらえなかったりするなど
色んな噂があり、正直ビビっていた。
どうしようかと悩んでいた時にそういえば、
最初ゴールドコーストの仕事を紹介してくれたところも
農業の仕事紹介もあったなと思い、相談してみた。
そうすると、話が進み、シドニーの田舎のファームで働くことになりました。
そこで3か月過ごしたあと、セカンドビザの取得もあり、
もう1年オーストラリアに過ごすことができるようになった。
レデイエリオットエコアイランドリゾート
僕はハミルトン島で過ごした経験も
素晴らしかったが、あと1年もあると思った時に、
もう一度海の近くに過ごしたい
という気持ちが大きくなっていった。
きれいな海で働きたいなーと思っていたところ、
そういえば、ハミルトン島を紹介してくれた
会社に相談してみようと思って聞いてみたところ、
レデイエリオットエコアイランドリゾートを紹介された。
世界遺産に登録されている、小さな島。
ウミガメの産卵を見れたり、亀と一緒に泳げたり、
スキューバダイビングも楽しめるところで
海がとてつもなく綺麗な島です。
当時働いている人が30人ほどで+観光客という感じでした。
僕は飛行機はあんまり苦手ではないのですが、
小型の飛行機は人生初でドキドキしながら乗車し
レデイエリオットアイランドに到着しました。
途中、風とかで揺れると泣きそうになったのですが
全然大丈夫でした。
今回の当時全体で働いている人が
30人ぐらいしか従業員がいなくて、
僕が配属されたところはお仕事は皿洗い
とお昼メニューを作るという仕事内容でした。
朝食、夜のビュッフェを作るシェフ、
僕ともう一人男の日本人、
シンガポールのシェフ、
ケーキ担当のフランス人シェフ、
オーストラリア人のシェフ、
ボスはイギリス人のシェフでした。
また他の従業員はカナダ人+オーストラリア人+ヨーロッパの人でした。
ハローしか言えなかった僕ですが、
1年以上オーストラリアに行くと耳は慣れてくるので、
何を言っているのかわかるのですが、
ボスのイギリス英語は本当に難しかった。
しかも、お昼メニューはハンバーガー、ホットドッグ、
イカリングなど揚げ物、サラダ、
など多種多様でメニューをまずす
べて英語で覚えないといけない。
人生でハンバーガーなど作ったこともないなど
やったことがない中で英語も聞かないといけない。
またものすごく忙しいので、
オーダーが10枚個ぐらい重なって、
しかもボスのイギリス英語を理解しながら
時間配分を考えて、
ハンバーガーのパテをやいたりしないと
いけなかったので、泣きそうになりながら
働いていました。
ボスと、サラダの入れ方が汚い、
なんでこんな焼き方なんだと怒られながら働き、
心が折れそうになりながら働いていました。
でも、自分は英語をできるようになりたい。
と心に決めていたので、ボスと喧嘩しながらも
働くことができていました。
また働き方も特殊で11日間連続で働いて、
4日間が休みという働き方だった。
また朝食の準備もしないといけないので
朝4時起きとかでした。
朝早いし、ボス怖いし、一回逃げ出そうかと
本気で考えたこともありました。
でも、島だし回り海で逃げられないので
どうしようもありませんでした。
でもそんな辛い中で僕は何のために
ここまで頑張らないといけないのか、
自分の心に常に聞いていました。
なんで英語の勉強をしたい?
英語の勉強をしてどうなりたいの?
そこで僕はやっぱり、
世界の子供たちの苦しんでいる人たちに
何かをしたいとかNPOで働きたい気持ちが大きかった。
だから今は英語を勉強し、
身に着ける必要があるということが
自分の心の支えでした。
仕事が終わった後は息抜きの時間でした。
小さな島だったので、スーパーも何にもなく
友人と海を泳ぐか、寝るか、英語の勉強をするかでした。
海が大好きな僕は海で仕事が終わった後
毎日泳いでいたのですが、
ウミガメと遭遇したり夜は子供のウミガメを見たり、
刺激的な毎日でした。
この経験で学んだこと。
自分がやりたいことでも、
苦しいことは絶対あるんだということ。
でも苦しい中でも自分の心はなんと
叫んでいるのか、
自分はどうしたいのか考えることが、
心の支えになるということ。
英語の文法を机の上で勉強するのと、
英語を使ってコミュニケーションをとる
難しさの本当の意味で理解することができたこと。
いくら机で勉強しても、働くとはまた違う。
仕事なので、ゆっくり話してくれるわけでもなく、
早く見た目の良いおいしい料理を
提供しないといけないので
シェフも早口になる。
それを理解して、料理を作って、
シェフが納得いく料理を出す。
英語の勉強にもなったが、
料理人は大変だと思いながらも
おいしい料理を出してくれる
シェフには感謝しないといけない。
当時一緒に働いていたシェフは
本当に嫌いだったけど、
でも自分のやりたいことがあったから
耐えることができたかもしれない。
その自分のやりたいことが
本当にやりたいことではなかったら、
心が折れて日本に帰っていたと思う。
最後に一番嫌いだったシェフが僕が去る前に
僕にかけてくれた言葉がある。
ユウイチ、よく頑張った。
お前は最高の仕事人だ。